ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること
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目次
プロローグ―番犬と泥棒
HALとわたし
生命の水路
脱線ー脳について考えるときに脳が考えることについて
精神の道具
深まるページ
脱線ーリー・ド・フォレストと驚異のオーディオン
最も一般的な性質を持つメディア
本そのもののイメージ
ジャグラーの脳
脱線ーIQスコアの浮力について
グーグルという教会
サーチ、メモリー
脱線ーこの本を書くことについて
わたしに似た物
エピローグー人間的要素
原題: The Shallows
2008年に掲載されたエッセイ「Googleでわれわれはバカになりつつあるのか?」から生まれた本 インターネットメディアにどっぷり浸かるほど、長い文章を没頭して読む能力が衰えてしまう?
メディアが私たちの脳神経のあり方を変えてしまい、マルチタスク脳にしてしまっているからと著者は主張している 脳の可塑性が、メディアがある世界に合わせている
アメフラシの襞に触ると反射的に襞が引っ込んでしまうのだが、何度もそっと撫でるとそのうち無視するようになった
知的テクノロジーの発展が、人間の脳の可塑性に影響を与える
地図作成のテクノロジーが発達したことで、人間の空間認識・抽象的理解能力が変化した
時計のテクノロジーが発達したことで、人間の時間認識や生産性への関心、遅刻への嫌悪などの意識が変化した
Scrapboxも一つの重要な知的テクノロジーの一つであって、習熟することで脳の変化があるように感じるkidooom.icon ラフから仕上げを行えるので、ラフを描くスキルの重要性が上がったり
書物の歴史
最初はコストが高く、一部の人しか読み書きができなかった
話し言葉で書かれており、音読をして読むのが普通であった
黙読で読む人は非常に稀であった
近年、インターネット上で活動する時間が急激に増加している
生活が変わるということは、脳に与える影響も変わる
その代わり、印刷物の本を読む時間は急激に減少している
これによって落ち着いて考える時間が減り、脊髄反射をする割合が増えてしまっている?
いいねボタンや第三者のコメント、「続きを読むには〜」の邪魔物が目に入ってくる
ScrapboxはWebページの中では究極的にシンプルで邪魔者が少ないメディアだと感じるkidooom.icon 同じ「本」でも体験が違う
PC上で他のアプリと同居して読んでいると、気が散りやすい
物理本の方が没入しやすい
電子書籍の方が大量の本を携帯しやすい
ページをめくる体験、本を持つのかマウスをクリックするのか
第8章ジャグラーの脳
インターネットで注意散漫のまま読む記事は文字を見ているだけで、理解まで至ってないものが多いという指摘
記事や情報をななめ読みしただけでは、振り返っても思い出せないことが多い
コーネル大学の実験で、講義を聞きながらWebを閲覧することを許可したグループは、閲覧した内容が講義に関係するものしないものに限らず全員理解力テストの成績が悪かったという結果 インターネットへの接続が注意散漫をうみ、理解を阻害してしまっている?
ウェブサイトのブラウジングは1ページ平均20秒程度
ほとんどのユーザが、全部文字を読んでいない。
高速でページ間を飛んでいる
p193
「デジタル環境は、もっと幅広いトピックを探求するよう人々に促すが、同時に、もっと表面的に探求するよう促してもいる」
p198
言い換えれば、ネットがわれわれをスマートにしているというのは、ネット自身の基準で知性を定義した場合のみのことなのだ。知性について、もっと広い、もっと伝統的な見方を取ればーー思考の速度ではなく、深みを考えるならばーー別の結論、はるかに暗い結論に至らざるを得ない
IQスコアが年々上がっているのは、昔の人々がアホで我々が賢くなっているというわけではない 何を評価対象とするか?がスライドしてきているだけ
p205
フリンは、IQスコアの増加は知性一般の増大というより、むしろ知性に対する考え方の変化と関係しているという結論に達した。19世紀の終わりまで、知性を科学的なものとする見方ーー分類、相関関係、抽象思考に重点を置く見方ーーは、大学に通うか大学で教えている人に限定された、かなりまれな見方であった。大部分の人にとって知性とは、自然の働きを読み解くことであり、農場、工場、および家庭で、実際的な問題を解決することであった。
昔の人々は、IQスコアよりも、日々を生き抜く体力や農業、自然の知識の方が重要であった
Googleの収益モデルである広告クリックは、いかに人間にクリックさせるかであり、その結果人々を注意散漫にさせてしまっている。 われわれは脳の仕組みをまだよく分かっていないにも関わらず、脳をコンピュータと同列とみなして世界の全てを計算可能とみなすGoogleへの懐疑
第9章 サーチ、メモリー
ソクラテスは、人の考えを文字で記録することに対して否定的であった 書くことによって考える力や記憶が弱まると恐れていた
p247
本は記憶を補足しただけでなく、エーコの指摘によれば、「記憶に挑戦し、記憶を改善する」こともしたのであり、「記憶を鈍らせはしなかった」
ソクラテスのように、口で喋ることだけを唯一のアウトプット手段としなくてもいい
過去の知的活動では、コモンプレイスと呼ばれるノートを持つことが勧められていた 自分でコモンプレイスを持たず、インターネット全体を自分のコモンプレイスとみなして必要な時にだけ検索すれば良いという現代の考え方
「もう暗記は必要ない。検索すればいいのだから」
この考えに、警鐘を鳴らす
自分の脳内に暗記した記憶を使って深い読みや考えができなくなる
コンピュータによるメタファーよりも、植物によるメタファーのほうが生きている人間の記憶の仕組みに近い
生物学的メモリーには無限ともいえるグラデーションがあり、デジタルのように1<->0 の2ビット的思考ではない
第10章 わたしに似た物
p290
テクノロジーの力を身につける代価として、われわれは疎外を支払った。知的テクノロジーの場合、代価はとりわけ高いものとなりうる。精神の道具が増幅すると同時に鈍くするのは、われわれの生来の能力のうち、最も内密で、最も人間的なものーーすなわち、理性的思考、知覚、記憶、感情なのだから。機械時計はわれわれに多くの恩恵をもたらしたが、その一方、われわれは自然な時の流れから切り離した。
いつ食事し、いつ働き、いつ眠り、いつ起きるかは決めるにあたり、われわれは自分の感覚に耳をすませることをやめ、時計に従うようになった。われわれは以前より科学的になったが、同時に機械的にもなった。
時計が刻む時間に頼れば、生体的に時間を捉える能力は弱まる
地図に頼れば、空間能力は弱まる
インターネットに頼れば、自分の記憶に留める力は弱まる?
これがタイトルの「ネット・バカ」で警鐘を鳴らしたい内容
パズルに取り組むにあたり、支援ソフトウェアがあるグループと無いグループに分けて実験
支援ソフトウェアがあるグループの方が最初は良い結果を出していた
時間が経過すると、支援ソフトウェアが無いグループが急速に熟達し、最後には支援ソフトウェアがあるグループの成績を抜いた
8ヶ月後に再度同じ被験者を集めて似たパズルを実験すると、支援ソフトウェアを使わなかったグループの方が2倍の速さでパズルを解けた
2008年のミシガン大学の実験の結果、森林公園を30分ほど歩くもしくは自然の写真を観るだけでも注意力が回復することが分かった
それに対して、町中を歩いたり都会の写真をみた場合は注意力の向上は見られなかった
2001年宇宙の旅では、コンピュータのHALが無垢の子供のような感情を吐露するのに対し、人間たちはロボットのように効率性をもって作業を行っている ロボットが何もかもをやってしまうのはいいけれど、人間はその「何もかもかも」が認知できなくなってしまうのだ。
たいていのシステム設計では、「生身の人間はまちがいを犯しやすい」という前提に立つ。これはハードウェア設計でもソフトウェア設計でも同じことだ。そこで、できるかぎり人間の関与を少なくしていく。最終的には画面や針の変化だけを見ていればすむようになる。
ところが、どんな人間にとってもこの単純な役割を長時間続けることが一番不得意なのである。複雑なことは機械がみんな引き取って、人間には単純なジャッジばかりが残される。これが問題だったのである。こうして必ず事故がおこり、その現場担当者の責任が問われることになる。
これは人間にわずかな労力しかもたせなかったシステムや機械の設計側の責任だ。いや、文明の責任だ。けれども、コンピュータシステムによる技術文明史というもの、決して機械に責任があったとは言いっこないだろう。